最高裁昭和50年(行ツ)第67号所得税の更正処分取消請求上告事件(棄却)(確定)

判  決(昭和53年10月31日言渡)

大阪府東大阪市河内町5番12号

         谷口弘こと

    上 告 人     平 井 康 雄

    右訴訟代理人弁護士 池 田 作次郎

大阪府東大阪市永和2丁目3の23

    被 上 告 人   東大阪税務署長

              倉 野 行 夫

    右指定代理人    奥 原 満 雄

 右当事者間の大阪高等裁判所昭和49年(行コ)第8号所得税の更正処分取消請求事件について、同裁判所が昭和50年3月26日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主  文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理  由

上告代理人池田作次郎及び上告人の各上告理由について
原審が適法に確定した事実関係のもとにおいて上告人のした本件株式取引を所得税法27条1項にいう事業にあたらないとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。所論引用の判例は、事案を異にし本件に適切でない。論旨は、いずれも採用することができない。
よって、行政事件訴訟法7条、民訴法401条、95条、89条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

最高裁判所第3小法廷

裁判長裁判官    環   昌 一

裁判官    高 辻 正 己

裁判官    服 部 高 顯

(昭和50年(行ツ)第67号 上告人 平井康雄)

上告代理人池田作次郎の上告理由

1 原判決にはその判断に影響を及ぼすこと明らかな法解釈の誤りがある。
原判決(控訴審判決)はその理由(2)において「特別の資金調達手段の存在、人的物的設備の具備、専門的な調査研究の実行等は、その各個が、事業の成立のための必須の要件であるということはできないが、事業にあたるか否かは、前記引用の原判決の挙示する諸般の事情を総合することにより、事業としての社会的客観性が認められるか否かによって決すべく、右の諸点もそのような事情の1つとして考慮することを要するものであって……本件株式取引は事業とは認められないものというほかはない」と判示している。
ところで第1審判決および原判決に説示する事業の意味内容は、きわめて通俗的、常識的なそれである。そのことが、とりもなおさずいわゆる社会通念に通常合致する、ことゝなるのであろう。しかしながら、すべての事業が原判決の説示するような要件を充たしているわけのものではないことも、これまた明らかであるといえる。もしかりに原判決の説示する要件を充たしていないものは、一切事業でないというのであれば、それは経済活動の実相を理解しない独断であるというべきである。
情報化社会といわれる今日、経済活動はますます複雑多岐且多種多様となり、それにつれ、かつては到底成立し得なかったような仕事さえも今日では一箇の事業として存在し得ている。また各個人が1人で多くの事業に手を出すようになったのもその特色である。そうすると自然そこには本業と副業の差異も発生して来る。この場合副業については、必ずしも生計の主たる手段として営まれていることはない。したがって従来のきわめて常識的な社会通念としての事業概念をもって、すべての経済活動につき事業なりや否やを判断することは相当でない。
株式取引の場合についてみると、現場取引であれ信用取引であれ、すべての取引は、一定の資格を有する証券業者の手を通じて証券取引所において行われるのである。それ故いかに多額の取引を行うにしても、なんら人的物的設備を要しないのである。必要とするのは取引資金だけである。それにもかゝわらず株式取引なかんずく信用取引はきわめて高度に技術化せられた商品売買であり、濃密な利潤追及活動なのである。したがってこれを相当の期間継続して行えば当然事業と認めるべきものである。(福井地裁昭和34年4、昭和39.12.11、行裁15巻12号2314頁参照)つまり株式取引の場合においては、事業性の有無の判断の主たる事由を取引それ自体の特異性に求めるべきものなのである。
最高裁判所第1小法廷は、昭和38年10月31日の決定(刑事裁判集148号1037頁)において、商品の清算取引による所得を事業所得と認定している。右決定は、上告人(被告人)が皮肉にも、本件における原判決および第1審判決の理由と全く同一の理由により、被告人のした清算取引による所得は、事業所得でないとして上告したのに対し、これを排斥し事業所得と認定したものである。商品の清算取引も株式の信用取引も取引の性質、取引の手順にさしたる相違はない。かえって清算取引の方がより投機性が顕著である。たとい右決定が刑事々件に関するものとはいえ、所得税法上の事業概念に相違があるわけのものではない。
これを要するに原判決は所得税法にいう事業所得につき、その解釈適用を誤った違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。原判決は破棄されるべきである。

以 上

上告人の上告理由

第1点 原判決には法令の解釈適用を誤った違法(法令違反)がある。そして右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるので破棄されるべきであると思料します。
上告人は、本件争訟に関し勝訴するか敗訴するかもさることながら、何よりもまず納税者として納得のゆく回答がほしい、という気持で上告した。
その結果たとえ敗訴しても、その理由が納税者としての上告人を納得させるものであるならば満足である。上告人自身が理解できるほか同じような疑問をもっているであろう世の少なくない納税者の参考になることでもあるからである。
所得税法第9条第1項(非課税所得)、同法第27条(事業所得)、同法第35条(雑所得)、同法施行令第26条(有価証券の継続的取引から生ずる所得の範囲)、同令第63条(事業の範囲)等の本件取引について適用関係のある法令の規定およびこのことに関する国税庁長官の通達(昭和45年直審所80、昭和36年直所1-85)を納税者に与えて、これを読んで自ら判断し、所得税の申告をするようにといった場合、国税当局は果してどのような申告が期待できるというのであろうか。それぞれ取引の実態を異にする納税者がこれらの法令および通達の規定をみて、自分の行っている取引が事業にあたり、従ってその取引から生ずる所得が事業所得になるのか、それとも事業にはあたらず従ってその取引から生ずる所得は雑所得になるのか、的確に判断できる者は極めて稀有のことと思われる。それは、これらの法令および通達の規定では、当該所得が事業所得にあたるかそれとも雑所得にあたるかの基準なり限界が全く不明確であるからである。
さらにまたこのことは、国税当局の周知、指導等行政運営上の適切な措置がなされていないことからも招来される。昭和44年3月、上告人は相当長期にわたって信用取引をする意志を固め、その生ずる所得は所得税法施行令第26条の規定の内容から当然に事業所得となるものと考え、またこのことについて証券業界の人や税のことにくわしい知人の意見も聞いて、青色申告の承認申請をしたのである。国税当局は、新規青色申告者の記帳開始指導その他青色申告者の指導、育成を強く推進しているのであり、上告人のした承認申請が不適格なものであったならば、当時当然に申請を却下する処分がなされてしかるべきであったところ、なんらの措置もないまま所得税法第147条の規定によりこの申請は承認があったものとみなされたのである。この申告について承認があったとみなされる時期(昭和44年12月末日)までには、国税当局は上告人の取引の状況によってその生ずる所得が事業所得となるかまたは雑所得となるかを判別のうえ、申請に対する是非の処分をすべきであったのである。
上告人は、国税当局のこの「胸三寸」的行政には何としても納得しがたく、異議、審査の手続を経て訴を提起したが第1審および第2審の棄却の判決にも納得できないところがある。
その疑問なり反論は以下に述べるとおりである。

1 有価証券の継続的取引による所得に対する課税

(1) 有価証券の取引から生ずる所得に対しては原則として所得税が課せられないのであるが、継続して有価証券を売買することによる所得に対して課税される(所得税法9条1項11号イ)。
この一般には非課税である所得が、課税所得となる場合の要件は、所得税法施行令第26条が定めている。
すなわち、同条第1項は「法第9条第1項第11号イ(非課税所得)に規定する政令で定める所得は、有価証券の売買を行う者の最近における有価証券の売買の回数、数量又は金額、その売買についての取引の種類及び資金調達の方法、その売買のための施設その他の状況に照らし、営利を目的とした継続的行為と認められる取引から生じた所得とする。」と規定している。これは当該所得が課税所得となる実質的要件を定めているのである。
次いで同条第2項は「前項の場合において、同項に規定する者のその年中における株式または出資の売買が次の各号に掲げる要件に該当するときは、その他の同項に規定する取引に関する状況がどうであるかを問わず、その者の有価証券の売買による所得は、同項の規定に該当する所得とする。1その売買の回数が50回以上であること。2その売買をした株数又は口数の合計が20万以上であること。」と規定している。これは、当該所得が課税所得となるについての形式的要件を定めているのである。

(2) 上告人の本件株式取引による所得がこの形式的要件に該当して課税所得となることは異論のないところであり、従って、異議、審査および第1審・第2審の訴訟においてこのことは論議の対象とはなっていない。しかし、この施行令第26条第1項および第2項の規定の趣旨は、当該課税所得が各種所得のうちのどの所得に該当するかをめぐる(すなわち、本件の争点をめぐる)判断との関係で考察してみる必要がある。
同令第26条の規定は、前述のように一般には非課税である有価証券の売買による所得が、その売買を継続して行うことによる所得として課税所得となる場合の要件を定めている。従って、その解釈は明確にされなければならない(時に通達行政の批判を受けることのある国税当局もこのことに関しては通達を示していない)。
まず、まちがいなくいえることは、この規定第1項に該当する所得も、第2項の規定に該当する所得も、ともに「営利を目的とした継続的行為と認められる取引から生じた所得」として全く同じ性質のものであるということである。
(1) 第1項の規定に関しては、その実質的要件に該当するか否かの判断について明確でないところがある。すなわち、当該所得が「営利を目的とした継続的行為と認められる取引から生じた所得」に該当するかどうかは「最近における売買の回数、数量又は金額、その売買についての種類及び資金の調達方法、その売買のための施設その他の状況に照らし」て判断することとなるが、このことについては次に述べるような疑問がある。

ア 売買の回数、数量および金額については、営利性および継続性が充分に認められるが、そのための資金の調達方法は皆無であり、施設は何もなく、その他の状況も営利性および継続性を認めるに足るものが無い場合は、要件を充足せず、当該所得は非課税所得として終るものと解されるが、その解釈でよいのか。これらの取引に関する状況のうち、たとえば、人的・物的施設だけが皆無であり、他のものはいずれも営利性および継続性を認めるに足るものである場合はどう解釈すべきか。

イ 取引の事実それ自体(取引の回数、数量および金額)には営利性および継続性が充分認められ、取引の種類以外の施設その他の取引に関する状況も同じである場合に、その取引が投機性が強く危険で収益の安定性がない信用取引であった時は、要件を充足せず、当該所得は非課税所得として終ることになるのかどうか。取引の種類は信用取引であろうと通常の取引であろうと別異に解すべきではないと考えられるかどうか。

ウ 第1項の定める「取引の状況」を判断するそれぞれの事項は、並列的、同価値的に解すべきもので、一部に皆無のものまたは不充分なものがあるときは、要件を充足せず当該所得は非課税所得として終るのかどうか。
そうではなくて、そのうち取引の事実それ自体を主体的要件と解すべきであり、その他の状況は付帯的要件と解すべきであると考えるがどうか。そして、取引の事実それ自体について営利性および継続性が充分であると認められるときは、資金の調達方法その他の状況のうちに、営利性および継続性を認めるに不充分なものまたは皆無のものがあったとしても、要件は充足されたものと解すべきであると考えるがどうか。

(2) 第2項の規定に関しては、上述の(1)のアからウまでのような疑問はない。
しかし、この形式的要件を定めた規定は、継続して多額の取引が行なわれている場合には、その取引の事実だけで要件を充足する(第1項の定める実質的要件のうちの主体的要件と解される事実が充分であるときは、付帯的要件と解される事実の存否は問うところでない)ものとする趣旨の規定と解すべきである(現在の時点においては、第2項の定める「50回以上、20万以上」が継続した多額の取引といえるかどうか疑問に思われるかもしれないが、所得税法の改正によって同項の規定が設けられた当時においては継続した多額の取引ということができたであろう)。
そして、この場合の取引については、それが通常の取引であるかまたは危険性の強い信用取引であるかは問うところでないことは議論の余地のないところであり、その双方の取引をしている者の場合には、その双方の回数、数量または金額を合して要件が充足されるかどうかが定まることについても規定上当然であって、議論の余地はないと解すべきである。このことは、実質的要件を充足するかどうかの判断においても同旨であって、別異に解すべきものではないことを意味すると解すべきである。

2 所 得 区 分
上述1による課税所得は、所得税法第27条第1項および同法施行令第63条第12号(前各号に掲げるもののほか、対価を得て継続的に行う事業)の規定に該当するときは事業所得となり、これに該当しないときは所得税法第35条第1項に規定する雑所得となる。

3 雑所得とする国税当局の見解および判決理由
本件の争いは、1に上告人の本件株式取引が所得税法上の事業に該当し、その生ずる所得が事業所得に該当するか、または、これに該当せず雑所得となるかにあるが、このことに関する国税当局の見解および第1審・第2審の判決理由は次のとおりである。

(1) 国税当局が通達で示している見解
継続して有価証券を売買することによる所得が、事業所得となるかまたは雑所得となるかに関し、国税庁が通達で示している見解は次のとおりである。

(1) 法第9条第1項第11号イからハまでに掲げる有価証券の譲渡による所得が、各所得のうちのいずれの所得に該当するかは、次による。

1 同号イまたはロに掲げる所得は、有価証券の取引のための施設、その者の職業その他諸般の事情に照らし、その者が常業として有価証券の取引または買集めを行っていると認められる場合には事業所得とし、その他の場合は雑所得とする((ニ)省略。昭和45年7月1日直審(所)第30号所得税法基本通達9-13。この通達が定められる前においては昭和36年直所1-85通達が同旨を規定していた)。

(2) 次に掲げるような所得は、事業から生じたと認められるものを除き雑所得に該当する。

(ハ) 有価証券の継続的売買または買集めによる所得((ハ)以外省略。同上基本通達35-2)。
原処分庁の異議決定の理由および国税不服審判所の審査裁決の理由がこの通達の趣旨にそったものであることもちろんである。

(2) 判 決 理 由

(1) 第1審の判決理由の要旨は次のとおりである。

ア 具体的な株式等の取引行為が所得税法にいう事業に該当するか否かは、結局一般社会通念に照らしてきめるほかない。

イ その判断に際しては営利性・有償性の有無、継続性・反覆性の有無のほかに事業としての社会的客観性の有無が問われなければならず、この観点からは、当然にその取引の種類、取引における自己の役割、取引のための人的・物的設備の有無、資金の調達方法、取引に費した精神的、肉体的労力の程度、その者の職業、社会的地位などの諸点が検討されなければならない。

ウ 以上の見地から本件株式取引が右の事業といえるかどうかについて検討すると、本件株式取引を継続的に行っている事実および昭和43年3月、職業として株式の信用取引を行う意図のもとに青色申告承認申請をしていることを考慮すると営利性・有償性および継続性・反覆性については充分これを具備しているといいうる。しかしながら、1)本件の株式取引は信用取引であり、信用取引は短期間における株価の変動を利用して売買差益を稼ぐという投機性の強いもので、それを長期間行っている者の大半が最終的には損失に終っていることから考えて、本来事業になじみがたい性格を有するものであること、2)原告は自己の主宰する会社の代表取締役としてその職務に専念しており、生活の資の大部分を同会社から得ていて、本件株式取引は原告が同会社の職務の余暇に株式新聞等を参考として投機的目的で行っているにすぎないこと、3)さらに右取引を反覆継続して行うための人的、物的設備もないこと、4)右取引のための資金も自己資金の範囲内に限られていること、5)右取引に要した必要経費もほとんど株式の売買に直接要した費用のみであることなどを考えれば、本件株式取引は事業としての社会的客観性にとぼしく、社会通念に照らしていまだ事業とは認められないと解するを相当とする。

(2) 第2審判決の要旨は次のとおりである。

ア 次のとおり付加するほかは原判決の理由の説示と同一である。

イ 一定の経済的行為が反覆継続して行われることによって事業としての社会的客観性が認められうるというためには、相当程度安定した収益を得られる可能性がなければならない。しかるに、株式の信用取引においては、取引から6ヶ月後に、その当時の株価如何にかかわらず決済を強制されるため、その間の株価の変動によって損失を生ずる危険が大きく、また、当初に委託証拠金として支出する資金の量に比して多額の取引が可能であるため、損失の額も大きなものとなりうるのであって、この点においてその他の株式投資との間の差異は、控訴人主張のように軽視しうるものではない。もとより信用取引によって一時的に利益を挙げることは可能であるが、右のような危険を考えるとき、相当程度の期間継続して安定した収益を得ることはかなり困難なことであって、投機性の著しいものとみるほかなく、これを生計の主たる手段とするようなことはきわめて危険なことと考えられる。控訴人が主として会社の経営に労力を費やし、所得あるいは生活の資の多くの部分を会社から得ていて、その余暇にのみ本件株式取引を行っていたにすぎないという事実についても、このような信用取引の特性との関連を考えるべきものであって、このような形態で行われる信用取引がなお事業として成立するためには、取引の反覆継続のほかに、さらに特別の事情が認められなければならないものというべきである。

ウ 特別の資金調達手段の存在、人的・物的設備の具備、専門的な調査研究の実行等は、その各個が、事業の成立のための必須要件であるということはできないが、事業にあたるか否かは原判決の挙示する諸般の事情を総合することにより、事業としての社会的客観性が認められるか否かによって決すべく、右の諸点もそのような事情の1つとして考慮することを要するものであって、これらの点についての事実関係が原判決認定のとおりであることは、上述(上記イ)の事情に加えて、本件信用取引が事業にあたえるものと認めることをいっそう困難にするものというべきである。

4 判決理由に対する疑問、反論等

(1) 所得税法上の事業の概念
判決は、株式等の取引行為が所得税法にいう事業(所得税法第27条1項、同法施行令63条12号)に該当するか否かは結局一般社会通念に照らしてきめるほかない。その判断に際しては取引それ自体のもつ営利性、継続性の有無のほかに、事業としての社会的客観性有無が問われなければならないという。
終局的に社会通念なり社会的客観性の立場から判断すべき場合のあることに異論はない。しかし、所得税法の目的に照らし、同法自身の解釈にまつべきものがあるときはその解釈に従うのが当然である。
所得税法は、所得税の適正公平な負担を実現するために、所得が、その発生原因または発生形態の異なるに応じて、質を異にし、担税力を異にすること等から、所得を10種類に区分している。包括的規定で定められている雑所得を除く他の9種の所得は、それぞれ独立、固有の概念なり内容をもっているのである。たとえば、不動産の貸付業から生ずる所得は事業所得ではなく、いまだ事業には該当しない不動産の貸付による所得と同様に不動産所得となり(所得税法26条)、事業用資金を預金したことによる預金利子は利子所得となる(所得税法23条)。
また、社会通念上からは、事業というからにはその要素の1つとして営利性を要するとするのが一般的のようであるが、たとえば、自家消費のためのみを目的として行われる農耕であってもそれが趣味の域をこえる段階に至ったものは所得税法上事業となる。狩猟および漁業についても同様である。所得税法施行令第63条第12号に規定する事業も、文理上は有償性と継続性があれば、営利性がなくても事業となりうる場合がありうると解される。

(2) 取引の事実それ自体のもつ事業性

(1) 判決もいうように、本件の株式取引は、これを継続的に行っている事実および昭和44年3月事業として株式の信用取引を行う意図のもとに青色申告の承認申請をしていることからすると、営利性・有償性および継続性・反覆性については充分にこれを具備しているのである。ところが、判決は次いで、しかしその取引は信用取引であって、投機性が強く危険で収益の安定性がなく事業になじまないものであること、取引のための施設がないこと等のために事業としての社会的客観性がとぼしく、事業とは認められないという。
しかし、本件のような取引においては、取引の事実以外の、取引についての状況、すなわち取引の種類、取引のための施設の存否等を除いた、取引の事実それ自体が、回数、数量、金額、継続期間等の、取引の度合に応じた社会的客観性を帯有するに至ることは否定できないところである。株式の売買による所得が、営利を目的とし、継続して株式を売買することによる所得として課税所得となる場合の、要件充足の判断において、取引の事実それ自体が営利性および継続性をもつか否かが主体的要素であり、その他の取引に関する状況は付帯的要素にすぎず、主たる要素が大であればそれに応じて付帯的要素は小であっても結果に変りはないものと解すべきことは上述したところである(上記1の(2))。このことは、要件充足による課税所得がどの所得に該当するかの判断においてももちろん同様であると解すべきである。
このような趣旨から、取引の事実それ自体についての課税所得となる形式的要件を定めた所得税法施行令第26条の規定が設けられているものであることは上述したところである(上記1の(2))。この形式的要件の充足については、規定上当然に取引の種類が信用取引であるか通常の取引であるかは問うところでなく、その双方の取引を行っているときは、双方を合して要件の充足を判断することになることも上述したところである(上記1の(2))。
判決のいうように、信用取引は投機性が強くて事業になじまないものであるから、事業に該当するか否かの判断に当っては特に消極的に解さなければならないとすれば、課税所得となる要件充足の判断をする場合においてもバランスのとれる考慮がされないと考えられ(後述 参照)、判決に対しては多大の疑問をいだかざるを得ない。

(2) 昭和39年12月12日福井地方裁判所は、昭和34年行第4号所得税更正処分取消請求事件において、株式の信用取引と同じ性質の取引である人絹の清算取引につき、清算取引はそれ自体が高度に技術化せられた商品売買であるから、営利を目的とするものであることは明らかであり、これを相当期間にわたって継続的に行う場合には、社会通念上も事業と認められるに至るものであり、取引それ自体が社会通念上も事業と認められる限り、さらにこれを職業として行うことも、また人的・物的の施設などを具備することも必要とせず、さらにまた、清算取引を行う者が人絹糸等の販売業または製造業を営む業者であると否とを問わないものというべきである(行政裁判例集15巻12号2314頁)。
昭和43年2月28日名古屋高等裁判所金沢支部は、上記事件の第2審である昭和40年行コ第2号所得税更正処分取消請求事件において、人絹の清算取引は、人絹の先物取引のうちの一形態であって、現物の受渡しを原則とするが、ただ目的物に対し反対取引をした場合には差金で決済できるものであり、投機性が強く現われることがあるとしても、競馬や競輪における危険度とは違い、たとえ思惑がはずれて損失を受けた場合においても元本そのものが全額失われることはなく、あくまで目的物の値上がりと値下がりとの差額による損益であるという点からは、一般の取引と何ら変るところではないのであり、本件の場合、取引の回数が多く継続しており、しかも営利を目的としている。所得税法上の事業所得発生の基因となる事実とは、営利を目的とする継続的行為であって、社会通念に照らし事業とみられるものを指称し、特に事業場を設置したり、人的・物的要素が結合した経済的組織体によるものであることを必ずしも必要としないし、また、その者の本来の業務あるいは職業としてなされる場合とを問わないものと解するのが相当であると判示している(行政裁判例集19巻12号297頁)。
なお、この事件については所得税法違反による刑事事件が先行しており、昭和38年10月31日最高裁判所第1小法廷において、同刑事事件につき、清算取引により利得を得る目的で自己の主宰する会社の人的・物的施設を利用しまたは他店を利用して取引の委託をして得た所得は、所得税法上の事業所得に該当すると判示している。

(3) 上述(1)および(2)で述べたところから判断して、本件株式取引はその取引の事実だけで所得税法上の事業に該当し、その生ずる所得は事業所得に該当するものと解すべきである。

(3) 信用取引の投機性と事業性
判決が、本件株式取引に事業性が認められないとする最大の理由は、上述のように信用取引は投機性が強く、危険で、収益に安定性がなく、事業になじみがたいものであるということである。
しかし、信用取引における決済について、現引または現渡しの方法によらず、反対売買の方法による場合は投機性が強く現われることがあるとしても、競馬や競輪における危険度とは違い、たとえ思惑がはずれて損失を受けた場合でも元本そのもの全額失われることはなく、あくまでも目的物の値上がりと値下がりとの差額による損益であるという点からは、一般の取引と変わるところはないのである。しかも、判決も認めているように本件取引には充分な営利性・有償性および反覆性・継続性が認められるのである。
資本制社会における資本のもつ本態的機能としてこのような取引を選んだ場合、その取引が継続して相当の回数と数量で行われているときは、信用取引だということがその事業性を否定する理由にはならないものと解すべきである。
今日における信用取引の現実は、証券市場に要請される機能を円滑化するうえで不可欠の存在である。だからこそ信用取引のための特別の金融機構の整備等の措置がとられているのである。租税体系の定立にあたってはその基盤となる社会経済上の制度、機構、実態等との調整が当然考慮されているはずであり、その解釈適用にあたってもこの関係に充分な配慮がなされるべきである。証券市場における信用取引の存在価値についても相応の社会的評価があってしかるべきである。取引を育成する措置が講じられる他方でその効果を減殺するようなことは避けられなければならない。
仮に、判決のいうように信用取引は投機性が強くて事業になじまず、その生ずる所得は事業所得に該当しないとしても、その取引が現物取引であった場合はどう判断するのであろうか。判決の理論によれば現物取引は投機性が信用取引の場合に比してほとんどないということになり且またその収益性も高いということになる。とすれば、判決のいうところに従えば信用取引の場合に比し容易に事業性が認められるのが当然である。そして、信用取引と現物取引との双方をそれぞれ継続して行っている者の場合には、信用取引から生ずる所得は雑所得となり、現物取引から生ずる所得は事業所得となる場合がありうるが、その場合に、継続して有価証券を売買することによる所得として課税所得となる形式的要件を定めた所得税法施行令第26条第2項の規定の適用とどのように調整した判断をすべきであろうか(上述1の(2)参照)。判決はこれらのことを予想したうえのものであろうか。

(4) その他の取引に関する状況と事業性
判決は、本件株式取引について、本務の余暇を利用して投機的目的で行っているにすぎないこと、取引のための資金調達の方法も講じられていないこと等とあわせて取引が投機性の強い信用取引であることから判断すると、事業としての社会的客観性が認められないという。
しかし、取引の事実とこれらの取引に付帯する状況とを並列的に同価値で評価する判決の見解は誤りであり、取引の事実それ自体に営利を目的とした継続的行為と認められる要素が大であるときは、取引のための設備その他の状況が不充分であっても、その取引は事業に該当し、その生ずる所得は事業所得に該当すると解すべきである。
事業には多種多様なものがあり、農業、漁業、鉱業、製造業、卸売業、小売業等においては、人的・物的設備等を要する必然性が物理的にも社会的にも(許認可 監督官公庁との関係、対社会的交渉等)認められるが、本件のような取引においてはそのような必然性は認められないのである。判決はそれぞれの事業の性質を顧慮することなく、異質なものを混同してその事業としての社会的客観性の認否に画一的な判断を押しつける誤りをおかしているものである。
余暇を利用しまたは副業的に行っている取引については、その取引自体に事業性が認められるか否かにより判断されるべきであって、他に本業的なもののあることは、その判断をするうえで消極的要素となる理由はない。

(5) その他の疑問点
上告人は、冒頭にいうように納税者として納得のゆく回答がほしいという気持で上告した。その意味でなお疑問に思うところを述べれば次の通りである。

(1) まず一般には非課税である有価証券の売買による所得が、継続して有価証券を売買することによる所得として課税所得となる場合の要件を定めた所得税法施行令第26条の規定が極めて理解しがたいことである。その基準なり限界がどこにあるのか全くわからない。そして、このことについて国税当局の通達は示されておらず、またその周知指導上の措置も講じられていない。
さらに、一応課税所得となるとして、その所得が事業所得に該当するか否かが全く不明確である。この関係を明らかにしようとして上述したように国税庁の通達が示されているが、その基準なり限界が全く不明確である。このことは申告に当って納税者の恣意を許す結果を招来しているものと思われる。

(2) 当該所得が事業所得に該当するか否かについての通達の規定、原処分庁の異議決定の理由および判決の理由は、事業所得に関する所得税法第27条第1項および同法施行令第63条12号の規定の解釈適用についてのものであるはずであるが、その表現からはむしろ所得税法施行令第26条第1項の規定の解釈であり、しかも同規の個別の事項を並列的、同価値的に判断していると受取られるところがあるので、課税所得となる要件か事業所得となる要件かに混乱した感じをいだかせ、課税所得は即事業所得に該当するかのような感じを誘発し、誤解を招くおそれがある。また反面、かなりな取引はしているがいまだ課税には至らないものについては、これを雑所得としてとらえられるのではないかとの誤解を誘発する危険が感じられる。

(3) これらのことは、納税者にとって極めて重大な関係のあることであり、       その基準なり限界は納税者の恣意にまかせられないことはもちろん、国税当局の恣意にもまかせられないことがらである。租税法律主義のうえからこれらのことは税法において明らかに規定されるべきである。納税者に正しい回答としての申告を求めるのならば、出題が正しい回答のできるものでなければならない。
これを解釈によってまかなうべしというのならば、租税関係において法律の解釈上疑わしい場合には国民の利益に解するのが当然というべきである。

以 上