「観音」とは、この世界にあって苦しみ悩む人々の声(音)を自在に観ずる菩薩です。
衆生が様々な悩みや苦しみに遭遇したとき、「観音」の名を一心に唱えれば、その声をすべて聴き届け、衆生の七難を救うために種々の姿を現し、一人残らず救済してくれる存在です。「観音」は、慈悲心溢れる、衆生救済の力の象徴なのです。慈悲心の「慈」とは、相手を包み込み慈しむ温かな心。「悲」とは、相手の悲しみや苦しみを全身全霊で受けとめて、共に悲しみ、それを癒そうとする心、「抜苦与楽」の心です。
すなわち、「観音の心」とは、相手の苦しみを全身全霊で受けとめ、その痛みを取り除こうとする慈悲の心の菩提心。そのことをしるならばか「観音の心」とは、どれほど、遙けき場所に位置するものだろうかと思わずにはいられません。有余(道半ば)の菩薩として、煩悩を抱え、闇を抱えて歩む私たちにとって、その心はあまりに遠く離れているもののように思えます。しかし、またそれほど遙が遠くに見え隠れする「観音の心」を求め、それを目ざして歩むことにこそ大きな意味があり、それを願って歩む道心を抱くことができるのが私たち人間であるということなのではないでしょうか。私たち一人ひとりの内なる「観音の心」を念じてください。
(祈りの言葉)
どうか、共に生きる人々の苦しみをわが苦しみとさせてください。共に生きる人々の歓びをわが歓びとさせてください。世界に響く苦悩の声を受けとめたいのです。世界に流れる悲しみの涙を受けとめたいのです。わたくしにできることに心を尽くさせてください。
わたくしは「観音」のごとき慈悲の心を育みます。人々の苦しみを引き受けその仏性を守るために。どうぞわたくしの内なる慈悲心をあらわしてください。
「祈りの道(高橋佳子著)」より