生活が不便になったことに不満を感じた時、
紛争下で生命の危機の中にいる人の為に祈ることができますのように
休校で自宅にいる子供の過ごし方で悩んでいた時、
子供が生き延びることのみを願う状況にいる両親の苦しみを想像できますように
旅行や友人との外出予定をキャンセルせざるを得ない時、
安全な居場所すらない人のことを思い出すことができますように
自宅待機でストレスを感じていると時、
生きるために外で働かざるを得ない人を思いやることができますように
市場の暴落で投資した僅かな蓄えが失われた時、
蓄えのない生活をしている人を心配できますように
私たちの国が恐れに支配されている時、
笑顔で親切な言葉をかけられる私でありますように
自分の心が不安に占領されそうな時こそ、
神仏の慈悲を信じる事ができますように
恩徳に報いる
戴恩不知恩 如樹鳥枯枝
蒙徳不思徳 如野鹿損草
恩を戴ひて恩を知らざるは樹の鳥の枝を枯らすが如し
徳を蒙(かふむ)つて徳を思はざるは野の鹿の草を損ずるが如し
恩を受けたのに、その恩に感謝しないのなら、樹によって実を食べたり、休んだりしている鳥が、小さい実を取ったり葉を食べ尽くしたりして枯らすのと同じようなものです。
徳を受けながら感じないのなら、野の草を食い荒らして明日からの食べ物に苦しむ鹿と同じようなものです。
これは、童子教の言葉で、世の為、人の為に尽くしていけば、廻り廻って我が身に帰るのです。それが人としての正しい生き方という教えなのでしょう。
「情けは人のためならず、めぐりめぐって我が身に還る」
グリフィンの祈り
大きなことを成し遂げるために、力を与えて欲しいと神に求めたのに、
謙虚さを学ぶようにと弱さを授かった。
偉大なことが出来るようにと健康を求めたのに、
より良きことをするようにと、病気をたまわった。
幸せになろうと、富を求めたのに、
賢明であるようにと、貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、
得意にならないようにと、失敗を授かった。
人生を享受しようとして、あらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと、命を授かった。
求めたものはひとつとして、与えられなかったが、願いは全て聞きとげられた。
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、
心の中の言い表せない祈りは、すべて叶えられた。
私はもっとも豊かに祝福されたのだ。